173せんちめーとる


タイトルは私の身長です。




でかい




この3文字が頭に浮かんだ方も多いのではないでしょうか。



物心ついた時から、周りの子たちよりもずっと身体が大きくて、3歳だとか5歳だとか実際の年齢を言っても信じてもらえないことも多々ありました。
中身はまだ3歳なのに身体は小学生くらいの大きさだったために、私が泣いたり喚いたりしていると見知らぬ人に不審な目で見られることもあったそうです(母親談)



身長はぐんぐん伸びて、小6のころには160センチを突破。
服のサイズはいつもLL、メンズサイズ。
靴のサイズは25センチ。
もちろん可愛い服なんて着れません。笑

さらに当時は体重も今より相当あったので、見た目のことでからかわれることも日常茶飯事でした。


「でぶのっぽりさこ〜」


なーんてひどいあだ名を付けられちゃったり。笑



小さい頃から自分の見た目が嫌で嫌で仕方がありませんでした。




最近無意識に興味を持ったいくつかのトピックがあります。


それは


1.ジェンダーの定義やLGBTへの差別問題について


2.世界各地の人種差別問題やそれに伴う極右団体の活動について


3. プラスサイズモデルの積極的な起用など、最近の美容業界における美の定義の変化について



全くばらばらに興味を持って調べ始めたこれらの事柄ですが、
一つの共通点があることに気がつきました。




これらのトピックには前提として、

「大多数の人々とは "何かが違う" 誰か」

が存在しているということです。



私がここで言いたいのは



「人と違う」って悪いことなのか???



と言うことです。




自分自身が「人と違う」ことで苦しい思いをした経験があるからなのかはわかりませんが基本的に私は


「人は人っしょ(どーん)」


と言うスタンスでここまできました。
だからこそ、誰かを自分と異なる存在としてカテゴリ分けして嫌うということに対してかなり違和感を持ってしまうんだと思います。



人と違うから自分が嫌い
人と違うからあいつが嫌い
自分はみんなと同じだから良い
あいつはみんなと違うから悪い


このような発想って


あれ、人と違うってそんな悪いことだっけ?
むしろみんな一緒だったらつまんなくない?
てゆか実際みんな一緒て不可能じゃない?
なんなら自分には無いものを知るのって面白くない?


って発想に切り替えられた瞬間に
世界がちょっとだけ素敵になると思うんですよね(?)


だからこそ私は日本の友達も海外の友達も同じ友達として大切に思っているし
その人たちが社会的にどんなカテゴリーに分けられていようと関係ないと思っています。

むしろ「自分とは違う」人々にこそ魅力を感じるし、みんながお互いの知らない世界を共有して、どんどん自分の世界を広げていったら最後はおっきな丸になるよなーとか、そんな風に思います(わかりにくい)


もちろん、私自身の知識不足で相手のことを傷つけてしまったり、逆に相手に言われた一言で自分が深く傷ついたりということもたくさんあります。

それでも、ただ自分と違うからという理由だけで誰かを嫌ってしまうよりはずっと良いと思うので、相手のことを理解するまでがんがん質問するし、がんがん答えます。


そんなことを繰り返す内に
あんなに大嫌いだった自分の見た目も、なんだかんだ最近はそんなに悪くないなって思えるようになったし

あんなに嫌がっていたヒールだって平気で履いちゃうようになりました(180センチくらいにはなる)


最近では3で述べたように、
美容業界ではプラスサイズモデルやダウン症を持つモデルが積極的に起用され始めていたり、性的マイノリティーと呼ばれる人々のメディアへの露出が増え始めていたりと少しずつ時代が変わってきているのかなとも感じます。
アイルランド同性婚が合法化したこともその内の一つですね。
日本ではこの辺がどう変わっていくのかなーと気になっております。




人と比べて何かが違うってだけで

自分が嫌いだとか
誰かが嫌いだとか

そんなことでもやもやしてるあなた


人は人っしょ(どーん)


な精神で過ごしてみると
ちょっとスッキリするかもしれないです


人と違うって魅力的。



以上!

Touch a tree


今日の札幌はとても天気が良くて、
大学構内の雰囲気は


f:id:risakossari:20150618225909j:image



こんな感じで最高でした。
天気が良いってだけで俄然やる気(何に対してかはわからない)が出るのは私だけじゃないはず。


そんな中、今日はオーストラリアからの交換留学生Amelieのスマートフォンを修理してもらうべく、駅近の電器屋さんに行って参りました。


彼女は去年の9月から日本に留学していて、




同じ授業を取ったり




互いにライティングの添削をしたり




一緒に旅行したり



と、かなり仲の良いお友達なのですが、

彼女はとにかく「会うたび何かに気づかせてくれる女の子」です。




Amelieは一言で言うと





「超うるとらすーぱー森ガール」 





どれくらい森ガールかと言うと





1. 山を見ればとりあえず登る


春にまだ雪が残っていて足元状態が最悪の山をヒールで登らされた時は死ぬかと思いました。生きてますが。笑





2. 将来の夢は生態学


とにかく彼女は将来の夢がはっきりしていて、会う度に「私は生態学者だからね!」と自分がいかに自然を愛し、これからどうやってそれらを守っていきたいかを語ってくれます。

Risako!! 
You know that earthwarms are the most lovely creature in the world!?Don't hate them!!!!!!

(りさこ!
ミミズほどこの世で素敵な生物はいないんだよ!?嫌わないであげて!!!)


私がミミズが大の苦手だと言う話をしたときには、どれだけ彼らが地球にとって大切な存在かをしっかりと語ってくれました
(まだ全然苦手ですがイメージは少し良くなった…かも?笑)






3. デパートや人がたくさんいる場所が怖い



これが一番びっくりしました。
彼女は基本的に天気が良ければいつも

Risako‼︎
It's so spring!!
Let's go outside!!! PICNIC yay yay yay!!!

(りさこ!
超良い天気だよ!!!!!
外行こうピクニックしよ〜〜〜!!!)








そんなAmelieは逆に
デパートや電器屋さんのように
人工的な音に溢れていたり、人で混み合っているような空間が大の苦手だそうで
本人いわく「息ができなくなる」んだとか。

だから今回スマートフォンを修理しに行く時もなんだか終始元気がありませんでした (お店を出て日の光を浴びた瞬間元気になっていましたが。笑)





そんなうるとらすーぱー森ガールなAmelieちゃん。


今日はオーストラリアで一部の人に信じられているジンクスについて教えてくれました。





電器屋さんの帰り道、
2人で自転車を漕ぎながら話していると




私「あと5年後、2人ともどこにいるんだろうね〜」


A「まだまだ私たちの人生は長いからね!!なんでもできるよ!!………!」



その言葉を言った瞬間、

Amelieが何かをつぶやきながら自転車を止めて


近くに咲いていた黄色い花に触れました


「え、なんて?」


私が聞き返すと


「…Touch a treeって言ったの。」




Amelieの説明によると

"自分が何か望みを口にした時、その瞬間に何か植物に触れないとその望みが叶わなくなってしまう"

というジンクスを子どもの頃から信じているそうで

いつもは木製のアクセサリーやチャームを身につけているけど、
今日は忘れてしまったから近くに咲いていた花に触れたんだとか。



彼女はその後、ちょっと照れながら、
オーストラリアでも信じてる人とそうじゃない人がいるけど私は何か気持ち悪いから毎回やっちゃうんだ〜


みたいなニュアンスのことを言ってました。




ふむ。

日本で言う所の

"黒猫が目の前を横切ったら3歩下がらないと不吉" みたいなものか。



小さい頃自分がそのジンクスを信じて毎回黒猫を見るたび律儀に3歩後ずさりしていたことを思い出しました。笑
(地域差はあると思うけど)




ジンクスとかおまじないとかって
みなさんなんとなーく信じちゃうものだと思うんですけど


世界中には本当に色んな種類のものがあるんだなーと


きっと想像もつかないほど突拍子も無いものもあるんだろうなと



少し調べてみたくなりました。




まあ流石は森ガール。
信じるジンクスも自然のパワーに関係するものなんですね。

彼女のまっすぐで、ぶれない性格は毎回尊敬するものがあるし、自分も見習いたいなと思わせてくれます。

こんなに外で日光を浴びながらランチを食べたり、おしゃべりしたり、散歩したりして過ごすのが好きになったのもAmelieと出会ってからじゃないかなー。




そんな彼女は今日、
先週誕生日であった私のためにプレゼントを用意してくれていました。


f:id:risakossari:20150619000440j:image


手作りのメッセージカードと
お友達のアーティストさんのCD。



いや、素敵かよ。笑




時差はないけど北半球と南半球で生まれた私たちが偶然出会って、こんなに仲良くなれるだなんて。


人との出会いって本当は偶然なんかじゃないのかなー


なーんて、ふとそんなことを考えながら貰ったCDを聴くのでした。


以上!

ゆるーくブログ始動


はい、タイトルの通り、

ブログはじめました(拍手)

Twitterだとちょっと長いけどFBに書くほどのことでもないような

そんな思いつきをゆるーく書いていこうと思います

やっぱり考えたことを文字にしたり、口に出したりすることって大切ですよね〜


もともとTwitterとかFBも個人的には日記に近い感覚で更新してたんだけど


「あ〜1年前はこんなこと考えてたのか〜。」

とか

「あ〜この人たちに初めて会ったのはこの時だったのか〜。」

とか


過去のある時点の一瞬一瞬を
その時の出来事やそれについて感じたこと、考えたことがふっと戻ってくる感じ、好きです(キメ顔)


記憶を色褪せずに簡単に保存しておける時代に生まれて

それが良いか悪いかは別として、少なくとも私は楽しんでます笑



さて、
今日は野心について少し考えました。

やっぱり大学生って一口に言っても色々いるわけで。


やりたい研究があって、ひたすらに勉学に励む人もいれば

うぇいうぇいしながらサークルやらお酒を全力で楽しんで卒業していく人もいれば

学生団体やボランティア活動に精を出す人もいれば

自分の将来の成功を見据えてなんか難しそうなこと(ぼんやり)をしている人もいます

あ、あと恋愛に生きる人もいるね、女の子は特に。

もちろん今挙げただけでは言い表せないくらい学生時代の過ごし方は人それぞれなんだけど

なーんか最近

「〜な過ごし方はもったいない」

とか

「今しかないんだから〜すべきだ」

とか

「何にも考えてないやつらは〜」

みたいな言葉をよく聞くんですよね


それらが総じて、「自分には目標がある」とはっきり周囲に示している方が発することが多いような気がします

「私は絶対にこうなってみせる」
「俺は絶対にこれを成し遂げる」

自分の中に「野心」やそれに伴う「目標」を明確に持って努力している人はとてもカッコイイと思います


ただ、それって周りと比べてどうこう言うものじゃないと思うんですよね


自分の頑張りと周りを比較して、誰かを見下した時点で
その人のカッコよさは半減してしまうような気がします。


個人的に

「どんな過ごし方も、
自分の理想にあてはまるなら
それはその人にとっての大正解」

だと思っているので

だからこそ、人の過ごし方、生き方を見下すような発言を耳にすると

「あんたの生き方がなんぼのもんじゃい!」

って思います(口悪い)

結局価値観の問題だし、
何を幸せとして、どう生きることに喜びを感じるかって話だと思うんですよね


ちなみに私は自分の知らない世界を知ることに喜びを感じるので

毎日新しい発見がある人生を送りたいです(真顔)

で、まあ何が言いたいかと言うと、

「野心」って

なかなか普通の人には認識するのが難しいものだと思うんですよね

でも私は正直あってもなくてもどっちでも良いと思います

それよりも、

「自分はこんな風に過ごしたい」

みたいな

「理想」さえ持っていれば

自分の生き方に自信を持って良いんじゃないかと

逆に言えば、

「野心」を持つことは難しくても
「理想」くらいは考えた方が

何もなく過ごすよりは少しだけ素敵な毎日になるんじゃないかと

そんな風に考えました。


まあ野心とか理想って言葉の定義は
完全に個人的な感覚で話しているので

何言ってんだコイツ?
ってなる方もいるかもしれませんが笑


自分の理想に近づくための努力と
他人の理想を見下すことなく受け入れて、応援することができる心の余裕


両方を持った人になりたいなーと
思ったわけでした!



以上!